5年前のセクシャリティワーク

Event, 桃色 こまど コラム♡


こんにちは、桃色こまどです🎵

春分イベントのゲスト、美月さんが5年まえに

開かれたというセクシャリティワークのお話しが、Pink Temple♡メンバー 淡路島あやさんから届きました。(淡路島あやさんの、淡路弁そのままです、ご了承ください 笑)

Galaxy Pink Temple♡のメッセージ、聖なる性と生にピタリかさなる内容です。

ぜひご一読ください🎵

5年という時の中で、セクシュアリティに関する情報、関心は高まるばかり。
美月さんからは、変わらない純度の振動を感じます✨

。。。。。。。。。。。。。

震災翌年の3.11に、美月ちゃんと天音らんさんの初めてのセクシャリティワークがあった。

2012.3.11 美月ちゃんと天音さんのセクシャリティワーク。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

セクシャリティ。命につながる、セックス、愛、自分らしさ
それは生きることそのもの。
天音さんは、『ほんとうの自分になって、自由になってほしいとおもった』
美月ちゃんは、参加する前に『生きるということを決めて、来てください』って言ってた。
行ってみたら、その意味がつながった。
性を受け入れられないのは、自分が女性であるいうことを受け入れられない、
自分自身、そのものを生きることができないという。
参加して感じたのは、こんなにもみんな、それぞれに痛みを抱えて、
生きてるんだということだった。
大きい小さい関係ない、本当に、天音さんが言ってたそれぞれの物語があるって言葉。
身体に、心に、魂に、刻まれてしまった痛み、感情、こわばり。
誰にも見せたくなくて、でも、誰かにわかってほしい。
でも、こわくて身体も心もこわばって、出せない、あきらめそうになりながら、
それでもここまで、なんとか生きてきたんだって、言葉じゃない何かで、
みんなから伝わってきた。
自分でもわからないうちに、涙があふれてしょうがなかった。
こんなにけなげ、ピュアなのに、愛されて、しあわせになってほしいと思った。
愛するってなに?理解すること。繋がること、
ただ、そこに在るという相手の存在を感じるだけ。
そのまま受け入れることやと。
いま、女性も男性も、肉体が悲鳴をあげてると、それくらい痛みを抱えたまま。
こわばったままのお互いでは、癒し合えないって。
女性は、男性のこわばりや痛みをほぐし、やわらげることができる。
美月ちゃんは、『わたしの持ってるもの、全部あげる』このワークにかけた想い。
わたしにできて、みんなにできないわけがないって。
そして願いは『男性を癒せる女性を増やしたい』
女性は、身体の中でエネルギーを変換できるらしい。
人は、本当は愛されないことがこわいんじゃない、愛する自信がなくて、それがこわい。
新しい何かを身につけるんじゃなく、思い出すだけでいい、本当はもうわかってる、中にあるって。
女性も男性も、傷つきながら、愛されたくて、癒されたくてそれぞれに生きてる。
そこが繋がるだけで、どれほど幸せが生まれるやろう?
求めあってるのに、できなかったんやなぁ。
まずは女性が変わる、そして男性を癒せる女性になる、男性のためじゃない、
それは女性のためでもなく、すべてのため。
心からひらいて、愛することができる人は、ほんまにしあわせな人やとおもう。
そんな人とであう人も。
そんなあったかい愛が、ふえていく、これからはそういうことなんやとおもう。
わたしの言葉ではなんか陳腐になってしまうけど。
美月ちゃんにであえて、ほんとによかった。
少しづつ伝えてくれる言葉が、どれも真実のきらめきというか、
どれをとっても、ふつうに生きてたらきっと出会えなかったっておもう、
見ることのできない本質、真実。
それは、彼女の生きてきた人生の中で、真珠みたいに、
痛みの中で少しづつまくをかけてできた光、美しい輝き。
天音さんが言ってた、女性のすべての痛みをわたしたちの代わりに
受けてきてくれた、そして、生きててくれてありがとうって。
美月ちゃん、天音さんというリーダーというんか、
2人に導かれて、守られた中で、通常見られない世界に、
なんか階段飛ばし的なすっとばしで 笑
触れさせてもらえた、感じることができたようにおもう。
天音さんも美月ちゃんもほんとにキレイで、密かにそこにも感動しつつ 笑
帰り、大阪で別れるとき、美月ちゃんが『あやちゃんを駅まで送ってあげたいから』と
言ってくれたのが、なんかすごく嬉しかった。
言葉じゃなく、美月ちゃんからは、黙ってても、何かキレイな愛が伝わってくる。
逆にわたし、ほんとに言いたいのはそんなんじゃないのにって、
軽い言葉をしゃべってしまう 笑
いつのまにこんな美月ちゃん好きになったんか、ファン状態やな~。。。
3.11、あの中で、亡くなった魂、どうしていいのか、突然に。
そして、生き残ったわたしたちも。
同じようにどこかでさまよってた。
でも、そこに合わせるんじゃない、幸せな顔してたら申し訳ないような
そんな気持ちがどこかにあったけど、そうじゃないってわかった。
そのうえで、生きる、ふつうに、生きる。
幸せになると願って、残された生を生きる、
命を燃やして、最後のときまで、そのものの自分を生ききる。
亡くなった人たちが願って、できなかったこと、
当たり前にくると思ってた明日、
やろうと思ってたふつうのこと、
明日があると思って、伝えなかった言葉や想いも、
思ったときに伝える、目の前のことに全力をかける、愛をこめる。
誰かが生きたかった今日の一日を、全力で生きる。
残されたわたしたちができるのは、それなんやと教えてもらった、感じた。
女性は女性として、男性は男性として、
お互いを生きる、一緒に。
そういえば、多賀大社に行って、イザナミさんに手を合わせてたとき浮かんできたのが
『男性と一緒に幸せになれる女性』という言葉だった。
女性だけで幸せになるのでも、男性の幸せに捧げるのでもない、
ともに、幸せになるって、ふと、イザナミさんは、そうしたかったんやろなぁと思った。
イザナギさん、イザナミさん、国生み、男性神、女性神の淡路島は、
まさに男性性と女性性の融合、そういう意味でもすごく大事な場所かもしれない。

momoirokomado

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